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  • 2014.12.13 Saturday
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芭蕉・蕪村ゆかりの「金福寺」

芭蕉・蕪村ゆかりの寺と聞いて京都の「金福寺」へ行って見ることにしました見る
少し遅くなったかもしれないが、サツキも綺麗とのこと。拍手

近くに「詩仙堂」や「宮本武蔵」でお馴染みの「一乗寺下がり松」等見所があるようです。グッド

叡山電鉄・出町柳駅より、一乗寺で下車しますでんしゃ
道を尋ねながら歩いたので25分程かかりましたジョギング
まっすぐ行けば、15分程で行けたでしょう。ひやひや

余談ですが、最近になって道を尋ねる相手の見分け方が
判ってきたように思います。チョキ

一番親切に教えてくれるのが、散歩中のお年寄りですねムード
時には耳寄りの情報も教えてくれる時もあります。ウィンク




↑ 金福寺へ以外に小さい10段ほどの階段を上ります


↑ この門を潜り本堂前へ


↑ 門を潜ってすぐ左側にこの弁天堂があります
NHK大河ドラマ「花の生涯」の「村山たか女」が創建し、余生は金福寺で送ったそうです



↑ 拝観料を払いこの門から入ります


↑ 門を入ると枯山水の庭園が目に入ります


↑ 上 寺内に展示の蕪村による芭蕉庵再興記
下 寺内の展示の巻物、内容は?



↑ 井伊直弼の書、たか女は井伊直弼の寵愛を受けていたようで、この一筆を大切に所持していたようです


↑ 本堂から庭園を見る


↑ 芭蕉庵への小道


↑ 芭蕉庵への道から見た金福寺


↑ この道を上ると蕪村の墓があります


↑ 展望所から見る京都市内方面、向こうに見える一番高い山が愛宕山


↑ 「芭蕉庵」この庵を復興した鉄舟和尚と芭蕉は親交が有ったことで、村人達によって芭蕉庵と呼ばれるようになったようです


↑ 芭蕉庵の中を正面から見る


↑ 芭蕉の句碑「うき我を さびしがらせよ かんこ鳥」


↑ 芭蕉庵の傍のやまももの木、樹齢三百年、京都銘木百選の一つ

姫路城・天守閣

              
            姫路城・天守閣


左  天守閣への途中石垣の巨大な石、どのようにして運んできたのか?
右  お菊井 播州皿屋敷でお馴染みの井戸、毎夜お菊の皿を数える声が聞こえた井戸




左   帯郭櫓(切腹丸)この曲輪の様子、周りの雰囲気が切腹をする場所を連想させるもので、切腹丸と呼んでいるようですが、実際に切腹が行われたことは無いようです(ここで写真を撮るのを躊躇しました、何か影でも写っていると困ります)

右  備前門の扉で薄い鉄板が貼られています、この時期に圧延技術が有ったのですね、この門を潜って天守閣へ向かいます。



 天守閣の下に来ました



 天主と鯱です


 角度を変えて見ます、威風堂々正に白鷺の城です



左  水五門 この門を潜り
右  いよいよ天守閣へ入ります




左  入った所が何故か図面上は地下のようです
右  東大柱・西大柱、両方とも一面80センチ角くらいの大きな柱です




左  この階段を上って1階へ
右  1階部分です、展示場になっていますが広い




左  2階部分
右  槍・鉄砲展示




左  鎧・兜展示
右  2階展示場




左  2階羽子板展示
右  3階内部




左  4階内部
右  5階内部



 6階の天主です


 天主には御祭神が祀られています



左  天主から見た姫路の町

右  姥が石 羽柴秀吉が姫路城を築くとき、石集めに苦労していました。城下で餅を 焼いて売っていた貧しいお婆さんが、そのことを聞いて、使っていた石臼を寄付ましたので、秀吉は喜んでこの石垣に使いました。この評判はすぐ町中にひろまり、国中からたくさんの石が寄付され、お城の建築は急速に進み、立派に完成したと語り伝えられています。(説明板より)



 歴代の城主が、修繕のたびごとに取り替えた瓦の紋章


左   井戸と旧番所 井戸に見張り番を置くくらいですから重要視されていたのでしょう

右   順路に従って出口近くになりました、頭上は桜です、桜の時季はこの辺りから眺める天守閣は素晴らしいことでしょう。

姫路城・西の丸

姫路城を見てきました
初めの目的は「姫路菓子博」を見る予定でした
日本の菓子職人が作った芸術的作品を見て
写真に残したかったからです。

早朝出発し、JR姫路駅に9時03分到着、会場まで徒歩15分とのこと
9時30分開場なのでブラブラ歩きます
周りを見ると、菓子博へ行くのでしょうかかなりの人出です。

ゲート近くまで来たとき「ただいま開場」のアナウンス
ゲートを潜り中に入ると、すでに混雑しているようです
迷わず、芸術作品を撮るため「全国菓子工芸館」へ一直線。

まずはテーマ館の細部にわたって再現した「50分の1の姫路城」へ
が・・既に待ち時間1時間半とのこと、「何、今開いたばっかりやろ」

仕方ないので「和の匠館」へ
ここは待ち時間無しで入場・・・が
直前、係員が「写真撮影禁止です」と言う。

「菓子博の公式ページには撮影禁止なんか書いてなかったで」
「そうですか、すみません」・・と係員
禁止なら仕方がないし、期待が外れ見る気もしなくなった。

菓子博の入場料2千円は無駄になったが「本物を見ていこう」
こうして、40数年ぶり2度目の「姫路城」見物になりました。



↑ 外から見た楼門橋と天守閣


↑ 扇の勾配  石垣の勾配が扇の形をしています


↑ 菱の門 この門を潜り西ノ丸へ


↑ 西ノ丸入り口


↑ 階段を上がると・・


↑ 部屋と廊下を兼ねたような所です


↑ 雨水抜き 戸から流れ落ちた雨水が溜まって腐食を防止する為に水抜きの穴をつけたそうです、金属の筒で外から見ると鉄砲にも見えたそうです。


↑ また階段があり上へ


↑ 長い廊下があり


↑ またまた階段


↑ あがると、広くなって


↑ 大きな戸があります、ここから奥は女性の住んでいた所で、毎夜閉ざして厳しい守りをしていたようです


↑ これより奥が西ノ丸長局、長局は長屋のことで奥女中が住んでいたそうです


↑ 奥女中の住んでいた部屋、何か敷物は有ったのでしょうか


↑ 広い部屋と狭い部屋があります、なにか理由が有るのでしょうか


↑ こちらは、大扉で仕切っていたようです


↑ 千姫が本多忠刻に嫁いで将軍家よりもらった10万石の化粧料でこの櫓を建てたといわれています、階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、隅々まで技巧を凝らした住宅様式になっているようです。


↑  外から見た西ノ丸の一部、広すぎて全体は撮れません
             天守閣につづく

彦根城・庭園(楽々園&玄宮園)

                     楽々園
旧藩主の下屋敷で、楽々の間にちなんで楽々園と呼ばれている。1677年彦根藩第四代藩主直興により造営が始まり、1679年に完成、開国の英傑井伊直弼も1815年10月29日に父直中の14男としてこの屋敷で生まれた。(詳しくはこちらで)



↑ 楽々園玄関


↑ 楽々園全景


↑ 書院


↑ 右端から、楽々の間、雷の間、地震の間
地震の間は日常はお茶座敷として使用されていた、構造の細部を総合的に見ると、最初から耐震構造の意図のもとに計画され、基本的な耐震建築の様式を採用している



↑ 庭園・枯山水


                    玄宮園
城の北東にある旧大名庭園で、4代藩主直興が延宝5年(1677)に造営した。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえたもので、江戸時代初期の庭を現代に伝える名園
園内には萱葺き屋根に数奇屋造りの建物が点在する、そのうちの2棟が「八景亭」。



↑ 玄宮園への門


↑ 八景亭へ


↑ 八景亭


↑ 玄宮園(八景亭)


↑ 玄宮園


↑ 玄宮園


↑ 鳳翔台へ


↑ 井伊直弼大老像


↑ 二期咲桜  冬(11月〜1月)と春(4月〜5月)の年2回開花します


↑ 二期咲桜

国法・彦根城(城内)

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長8年(1603)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。(彦根観光協会・彦根城のご案内より)



↑ 彦根城天守


↑ 左 城壁越しに伊吹山が見える    右 西ノ丸三重櫓


↑ 左 多聞櫓    右 ここから城内に入ります


↑ 左 1階部は2段になっているようです  右 鬼瓦や鯱を展示しています


↑ 左・右 ここは1階部分鉄砲や矢を射る穴、狭間(ざま)が見えます


↑ 左 2階に上がる階段、非常に急勾配で怖いくらいです
  右 階段から上がった2階部分です



↑ 左 3階に上がる階段が見えます   右 上がってきた3階部分です


↑ 左 3階部分の部屋です   右 3階の天上です


↑ 左 彦根城から見た琵琶湖で、右に竹生島、左側に比良山系が見えます
  右 雪をかぶっているのは、伊吹山です

      (次は彦根城の庭園を紹介します)

国宝・彦根城

天気予報で滋賀県は雪になりそう結晶
彦根城の雪景色を見たくなり行って見ることにしましたジョギング
いつものように、電車や乗り継ぎの時間を調べて出発です。ジョギング

1月に京都駅で琵琶湖線の新快速電車に乗るため標識に従い2番ホームで待っていた
予定の時刻に電車が来ないため駅員に聞くと聞き耳を立てる、新快速は0番ホームからの発車だと言う
結局その日は予定より40分遅れてしまった。しょんぼり

今日も同じ線の新快速に乗るため「今日は間違わないぞ」と0番ホームで待っていた
が・・今日もおかしい、向こうの2番ホームに新快速が入ってきたでんしゃ
不審に思いながら、2番ホームに行ってみるジョギング
階段を下りた所で電車は出て行った。

そこで、駅員に聞いた「彦根方面の新快速は0番ホームですよね」
駅員は「いいえ、この2番ホームです」と言う
「この前は、0番ホームで乗ったけど?」!?
「あ〜、9時までは0番ホームで、9時以降は2番ホームです」
「なんで、そんなややこしい事すんの?」!!!
駅員「は〜・・・・・」
「それに、9時までは0番で、9時以降は2番て、何処かに書いとる?」
駅員「・・・」汗

「こりゃ話にならん、急ぎの用でもないし、腹を立てるだけ損やな」唖然・・と思い
ちょうど入ってきた新快速に乗りました。でんしゃ

結局、雪は積もっておらず、又もや期待外れになりました。たらーっ



↑ 左 いろは松   右 井伊直弼の歌碑


↑ この橋を渡り城内へ


↑ 馬屋の建屋と内部
馬屋には常時藩主の馬が十数頭繋がれていたそうです



↑ 左 入口   右 階段の坂道を登る


↑ 左 天秤櫓の石垣   右 天秤櫓に架かる橋


↑ 左 天秤櫓全景    右 天秤櫓の内部
この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したものといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしている所から天秤櫓と呼ばれた



↑ 左 与謝蕪村の句碑   右 天守への道


↑ 左 時報鐘    右 太鼓門櫓
現在の鐘は12代藩主直亮の時の鋳造で黄金を多量に鋳込んだため音色が美しく一里四方に響いたという。現在も、日に5 回その音色は、城下町に時を伝えている
 


↑ 左 太鼓門櫓下(門になっている)  右 太鼓門櫓の天上
本来表口を固める櫓門で、旧記に彦根城楼門とある



↑ 彦根城天守

京都の風情

毎日テレビにチチンプイプイという番組がありますグッド
先週「美味しいメロンパン」の店を紹介していた
行ってみるか〜。ジョギング

場所は京都市左京区らしい、詳しく調べてみると見る
京阪電車の「四条駅」から歩いて30分程ジョギング
乗り継ぎ無しで行ける、近くに「八坂神社」も有るゆう★
メロンパンが売り切れでも下向き、八坂神社を見てきたらええかグッド
寒くなってくると、何かきっかけが無いと出歩く事も億劫になりがちしょんぼり
きっかけが出来た、気が変わらん内に出発。ピピピ

「京阪四条駅」に着き、地下から上に出た、「オ〜寒 小雪がちらついとる」結晶
「賀茂川」に架かる「四条大橋」を渡り、店を探しながらてくてく歩くこと30分ジョギング
・・・結局・・「思った通り売り切れでした」悲しい

四条大橋まで引き返し、予定通り「八坂神社」に向かうジョギング
途中で、人通りの多い脇道が有ったので覗いて見る見る
「花見小路」「歴史的景観保全修景地区」とある
字を見ると何となく分かるような気がする、行ってみよう。ジョギング



↑ 京阪四条駅を出た所の賀茂川に架かる四条大橋、向こうに見えるのが「松竹・南座」


↑ 賀茂川、後方に雪をかぶっているのは「比叡山」あたりか。
  飛んでいるのはカモメに似ているが、こんな所に居るのかな?



↑ 舞妓さんかな?


↑ 日本髪の飾り、竹細工や鼈甲かな?、綺麗です。


↑ ここから、「花見小路」「歴史的景観保全修景地区」


↑ 新しい建物も、昔の風情を残したものになっています。


↑ 古いものは、最大限残しているようです。


↑ お坊さんも、景色に溶け込んでいます。


↑ 「祇園町南側」、合成写真ですが、さすが この通は舞妓さんが似合います。


↑ これも 合成写真です。

京都・東福寺(庭園)

                    東福寺の庭園


↑ 開山堂と庭園
  1280年入定の聖一国師を祀る、前の庭園は江戸中期の名園



↑ 開山堂前の庭園


↑ 方丈庭園の入口
 方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強く なったそうです。
 八相の庭
 広大な方丈には東西南北に四庭が配され「八相成道」に因んで「八相の庭」と称するそ うです



↑ 方丈内の庭園 南庭 広さ210坪の枯山水庭園


↑ 方丈内の庭園 西庭 さつきの刈り込みを砂地とをくず石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化する。


↑ 方丈内の庭園 北庭 ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やか市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたものです。


↑ 方丈内の庭園


↑ 本堂(仏殿兼法堂)
  昭和9年築の重層入母屋造の大建築、とに角大きな建物で圧倒されます



↑ 三門
  大仏(天竺)様を思わせる、室町初期の再建、これまた威風堂々とした構えで、木造  でよくこれ程のものが造られたものと感心します。



↑ 京阪電車鳥羽街道駅への道、東福寺駅へ向かうよりこちらの方が人出は少ないようです。

南禅寺界隈・琵琶湖疎水・水路閣

疎水事業は、明治18年に起工され、同23年に竣工した、第1疏水建設当初,幹線水路として計画されましたが,計画変更により規模を縮少することになりました。蹴上から分岐する枝線水路として,京の夏の風物詩として知られている大文字(如意岳)の山麓に沿って,南禅寺,若王子,吉田山の東北を経て,高野,下鴨,堀川と,南から北へ,その後西へ流れ,沿線各地への水力利用,かんがい,防火用水等の供給を主目的として設けられました(掲示板より)


↑ 水路閣は、この疎水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つになっている。ピース


↑ 南禅院にはこの水路閣のアーチを潜って行きますGO!


↑ 幅4.06メートル、水路幅2.42メートル




↑ 水路閣の上に大きな鐘楼があります


↑ とにかく大きな釣鐘です、どんな音がでるのかな?おや?


↑ 幾つもの疎水ルートが有るようですが、琵琶湖から鴨川までの距離でも相当長い距離のようですが、明治の始め頃の構想としては凄いと思います。びっくり

木津川の「流れ橋」と秋模様

久しぶりに「流れ橋」を訪ねてみることにしました橋
この時期は初めてです!?
「流れ橋」は時代劇によく出てきますピピピピピピ
バイクで行くか自転車か自転車、片道約一時間
運動には丁度良いグッド 自転車で行こう自転車



↑ これは綺麗は秋です、街路樹も色付いてきました


↑ これはまた しんどそうな秋です、「早う摘んでやってや〜」


↑ 歩道上の見事な秋模様です


↑ 竹やぶのちょっとした秋の模様


↑ 流れ橋に到着、水が無いのがちょっと残念 対岸側の方に流れている


↑ 木津川の「流れ橋」に対し こちらは四万十川の「沈下橋」
  水に浸かってもよい構造になっています



↑ 水に浸かると上の部分が浮き上がるようになっているようです


↑ ワイヤーで繋いでいる為流されてしまう事はないそうです


↑ こんなとこにも 秋模様




↑ 水戸黄門さまご一行にお越しいただきました

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